日本一周バスの旅・御遍路さんの夏休み・最終章
2014/10/31(Fri)
             ☁栗田さんの願いは途中で終わる☁

昭和62年5月17日・日本一周バスの旅・・20名・栗田添乗員の願い山陽山陰の旅・母の代わりに横井さん

が参加してくれた。(下関でパチンコに行きたい人は玄関に集合と云ったら!!冥土の土産にと全員集合)

18日・山口郵便局→下関郵便局→19日・萩松陰神社前郵便局→島根県津和野郵便局20日・出雲郵便局

→島根県東郵便局→島根県松江郵便局→21日・西郷郵便局→米子郵便局安来郵便局・・

山陰

此の旅の思い出は?母に横井さんと隠岐の島の絵葉書を買ったのと・隠岐の島に渡る船で綺麗な若い芽

(山の木の芽)横井さんが、海の底を見て「わかめ?何処に有る」と、私が、山を指差して綺麗だよ・・

「其方の若芽が」と、二人で笑った事。帰りに大山牧場の美味しい牛乳を少しなめた事(お腹を壊す恐れ)

何度か観音霊場で巡拝したので?ゴチャゴチャで思い出せない・・おっと富田運転手のお父さんの危篤の

電報で!泣きながら隠岐の島から帰った。皆に頭を下げて途中から帰る時・握手をしたら泣いてしまった。

富田運転手と鈴木運転手にはお世話になった。鈴木運転手が一人で残りを走る・・

(何故か此の旅の終わりは・・寿芳の降りる迄・・栗田添乗員は見送って呉れた)・

山陰

毎日・毎日横井さんに蟹の身を取って上げた事を思い出すのは・大好きな蟹を食べられなかった悔しさ・・

今も、我が家でしか海老・蟹は食べない・朝から☀ステーキとパンなら大賛成☀戌年だから肉好きかな~

栗田添乗さんが折角・郵便局に行って呉れたので載せました。  

   ☁お遍路さんの夏休みは終わります・栗田さん無念でしょうが越後は寿芳が行きました☁   合掌

隠岐

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本四国霊場・寿芳の朱印に染まる白衣は何時着る?
2014/10/30(Thu)
            ☁寿芳があの世とやらに着て行く白衣☁

平成十二年の秋・妹が寿芳の朱の白衣を交通事故で亡くなった義弟に着せてあの世に旅出したのを気に

して持って来て呉れた時☁此の為に朱印が戴けなかったのか☁☀心経☀が先に納めて有る寿芳には・・・

妹の心使いも有り難いが☀納経帳の朱印の数が揃い☀栗田さんも安堵して居ると思う☀納経帳を持って

楽しく笑う栗田さんの本四国遍路の謎が解けた。小松尾寺の御住職の三枚の白衣のお説教が蘇える。

母と義弟の供養より・残された妹が心配で遍路に連れて出た・寿芳の辛さが解って呉れたと思う。

一時でも楽しそうに遍路した姿は目に浮かぶ・・中山さん(運転手)がお接待を先に配って呉れて居るのを

知らず☁涙を貯めて私のお接待は誰も受け取って呉れ無いと泣く☁今思うと何故・御朱印・に拘ったの

か?泣いて家族や・小松尾寺の御住職を困らせたか。心から手を合わせて居たのか?信仰は解らない?

                ☀願えば叶う事は子供や孫にも教えたい☀        合掌
朱白衣

寿芳が本四国遍路の頃は朱印は心経を挙げて戴くと教えられた。別格の数珠も一人一粒だったから・

  ☁今は、まるでお土産の様で値打は無いと思う頑張って集める数珠だから大切に思う☁
   
                           寿芳の独り言   合掌
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本四国に行きたいと願う・栗田添乗員
2014/10/29(Wed)
            ☁奥道後で夜中まで笑いが止らなかった☁

何時も最後の日は、豪華な宴会で楽しい仮装をして楽しませて呉れた。栗田さんの笑顔は旅立つ。

(宿に有る物で・プサン港・お盆の上にお猪口を貼って、鼻の下に海苔の髭・浴衣袖を足から履き・ズボン

にして後・一枚は普通に来て・割り箸を咥えて内股で歩く・・・浴衣を短く着て赤い腰紐・鼻紙のオリボンを

髪の毛のオチョンボに付け・頬っぺたを赤くして踊る・・初めて参加の人は絶対笑う・・ドジヨウすくい)

全国を観光バスを走らせたいから協力して呉れと、笑って話したのに栗田さんは越後路を残して悔しかった

と思う。春の本四国遍路に同行出来ず入院して居る。栗田さんをお見舞いした時「今頃の時間は第34番・

種間寺で焼き芋を食べて居るかな~」と、話したのが最後になった。自分の体が悪くても、楽しく迎えて下さ

る四国へ行きたかったのだと思う。何時も私に余りお参りにのめり込むなと、心配して呉れたが御観音様

が有れば予定に入れて私の念願を助けて呉れた。  (前に書いた新米運転手と四国遍路に出掛けた)

二・三度・病院に面会に行ったが(此の姿は見られたく無いと・奥さんにお見舞いを渡して帰った)楽しい生

きた遍路が解ったのは栗田さんのお陰と思う。栗田さんが亡くなった時、奥さんから最後の別れに来てと・・

電話が有った。静かなお顔で横たわる栗田さんの前で・奥さんが「寿芳さんに悪い事をしたと、気にして居

たから、許してあげて下さい。昨年の四国遍路で寿芳さんの本四国の納経帳が重いと断ったから罰が当っ

て今年はお四国さんが呼んで呉れ無いと、後悔して居ました」と、泣いて手を付いて謝って下さった(遺言)

寿芳が「無心に祈る仏様が、意地悪はしないよ」と、楽しい思い出を有り難う御座いました。

別れが辛いから「明日の葬儀には来ないが、お四国さんで待って居てね」と、約束した。
  
    寿芳が四国遍路で栗田さんの冥福を祈った時・・・栗田さんの笑顔を思い出した。合掌

        ☁栗田さんのお陰で落慶法要&御袈裟を授かった第44番大宝寺☁
第44番大宝寺

                            合掌
四国納経帳

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坂東三十三霊場☀満願☀後に爆発した。 №5
2014/10/28(Tue)
         寿芳のお願いで禁酒して☀満願☀後に禁酒を許した。

昭和六十三年十一月六日・・栗田添乗員の五泊六日で坂東三十三霊場に同乗した同行者。

三度目の袋田の滝(四度の滝)は昔と違い観光名所に変って居たが、紅葉に映える瀧は変りなく凄い迫力

で迫って来たが、何だか初めて訪れた自然の滝が恋しかった。

第33番那古寺☀満願☀小湊ホテルは二度目で、何か懐かしい気がした。(和さんや昔の同行者の事)

翌朝、鯛の浦で船から鯛の泳ぐ姿を見たが、海の色に溶け込んで美しいが苔のはえた鯛も居て驚いたが

昨夜の刺身を思い出した。横井さんの紹介で参加して居た・お酒の好きな男の人は寿芳のお願いで満願

迄・禁酒をして呉れたが、満願で私が許したら・黒石さんを相手にフェリーで酔い潰れて居た。横浜港に着

いた時には千鳥足で皆に臭いと嫌われた。

昼食は自由食と聞いて居たので、栗田さんから離れて八人で昼食を食べてバスに戻ったら・・・最後迄・

行動を共にしないと、栗田さんが困ると・・田口さんは私を責めた。私は自由と聞いたし上機嫌で、極楽に

居る人を迷惑がられたので離れたと云い返した。私の立場を見兼ねて間瀬のお父さん(元警察)が

田口さんに「貴女は何を威張って居る。寿芳さんの気持も知らないで、俺達は貴女の世話になった覚えは

無い。栗田さんも添乗員なら何故呼びに来ない、昼食は自由だと云ったろと怒り喧嘩になりかけて驚いた。

確かに間瀬さんが不服に思うのは当たり前だが、寄せ集めの巡拝の難しさ。栗田さんとの最後のお参りに

なった。翌年栗田さんは肝臓癌でこの世を去った。母が葬儀に本四国の住職が来ていたと教えて呉れた。

                 南無大慈大悲観世音菩薩          ☁合掌☁
坂東29
                 
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坂東三十三観音・添乗員の残した仕事を☀満願☀ №4
2014/10/27(Mon)
            ☁ 市川添乗員(亡き兄の友)へ寿芳の恩返し☁

昭和六十年十月一日・・四泊五日・・私は弟夫婦にお願いして満願にしが・・坂東の残りは同行者は困た。

市川添乗員が亡くなって残りを困って居た同行者・・供養の為に・・鳴海観光・中山個人タクシーを頼み

昭和58年の巡拝者全員☀満願☀になった。市川添乗員の奥さん・和子さん。中川さん私が中山タクシー

タクシーのガスを補給にスタンドに寄る為・・鳴海観光の社長より先に出た。スタンドには誰も居なくて・・

自分で勝手に入れるようにと・カンバンで・全員で入れ方が解らなくて困った.中山さんも自分の車なのに

何時もは大人しい中川のお父さんがスタンドを叩く姿は面白かった。(無茶なガス爆発を起こすとこ)

電話をして来て頂いた。袋田の滝(四度の滝)の紅葉には早過ぎたが・滝の見事さに圧倒された。

市川添乗員の奥さんと和子さんの真ん中に座る私は辛かった☁市川添乗員の供養☁は出来たかは寿芳

には解らないが残されたお納経帳は☀満願☀だけは無事に済んだ。      合掌

24.jpg
       
               ☁今頃は亡き兄に会って寿芳の事を謝って・・二人で笑って居るかな☁合掌☁
33番 (2)

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坂東三十三霊場・ガマの油売り   №3
2014/10/26(Sun)
           軽い土産と江戸屋の女将さんが・・ガマの油売り  

筑波山第25番・大御堂に着くのは何時も夕方★お堂に蝋燭を挙げると狭いお堂の中から御観音様が

お疲れさま・お宿は隣よ、ゆっくりお休みなさいと揺れて居る。

筑波山・江戸屋の女将さんがガマの油売りを披露して呉れる。坂東巡拝の宿泊での楽しみ宴会。

お接待のガマは元気だが、女将さんが老けて居るのを見ると年月を感じる。

江戸屋の玄関でお茶が嫌いな・私がお水を汲んで居たら、皆が真似をして汲みに走る。

何でも真似をする人達には困るが●信頼を裏切る事は出来ないと●後の遍路の為に修行になった。

「おたちあい、タラーリ・タラーリ・と水が無くなった」と、私が最後の水を飲んだら・此処に有るよ~と、出して

呉れる同行者は優しく親切だった。未だ此の頃は珈琲を持って行けない寿芳だった。何でも修行と思いな

がらも疑問だった。★私が此の参拝の坂東三十三霊場は途中から★市川添乗員と別れて・・・残した巡拝

横浜に住む・弟夫妻と母に助けられて☀お軸の御観音様は朱の衣に変って満願☀を頂いた感謝    

               南無大慈大悲観世音菩薩    合掌
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坂東観音霊場・昔の遊郭に宿る  no2
2014/10/24(Fri)
         女性が昔の・遊郭に泊まれるとは驚いた。

千葉県銚子の宿・・細い路地を入った処に玄関が有った.旅館とは名ばかり部屋の入り口に飾り屋根!!

部屋割りは・母と義姉・私とよねちゃん・・窓が傾き開けたら閉まらないとは知らず、余りの暑さで開けて困

った。私達は二階の道路側の部屋。私が「此の宿変だね」と、よねちゃんが「此処は昔の遊郭よ」と、

よねちゃんが「今日は寿芳さんが寝れると思ったのにな~」と、「玄関に迎えに出た人みた」と、「刺青ね」

私が「いくら修行と云っても、此れでは地獄よ」と、よねちゃんは「屋根があるだけ幸せか」と、私が「五月蠅

いクーラーね~消しても良い」・「良いけど消すと暑いよ・でも耳が可笑しくなるよ、ね~お母さんが可哀想」

「此の部屋よりましよネ」・「添乗さんもよくこんな処知って居たね」・「女が遊郭に泊まれるのも、珍しいから

我慢するか」・「此の部屋は最低の人の部屋」二人は汚い部屋と呆れながらも楽しんで居たが、母達が気

掛かりで見に行った。「此の部屋は花魁の部屋だネ」と、笑う。夕食は千葉の新鮮な魚だったが・何か変な

落ち着かない夕食だった。(今迄会った事も無い人達のお給仕!自分の幸せを感じた。

よねちゃんは平気な顔、何時も変った人達が家に出入りして居るが、気持ちは優しいと教えて呉れた。

(外見で判断は禁物と知った)がたがたの宿で皆が廊下を歩く音と勘違いして居た。

地震と知ったのは夕食を済ませて、廊下に出た時。其処に下宿して居た学生さんが今日は此れで何十回

も揺れて居ると教えて呉れた。部屋に戻ると布団が敷いて有った。私を気遣ってよねちゃんが「此の布団

は貸布団だから綺麗だよ」私が「如何して分かるの」と、よねちゃんが「番号が付いて居るから間違いない」

「よねちゃん電気消してネ」・「消したけど外の明るさは消せないよ」と、二人で起きだして窓に毛布を掛けた

が★ビカピカ★光るネオンにはさすがの。よねちゃんも困って居た。凄い地震が来た、二人で窓から逃げよ

うと開けたままの窓から外を見たら、前のお店の人が金庫を持ってウロウロして居た、窓から其れを見て?

お客さんはと・二人で笑って居たら、地震は治まった。二人で母の部屋に走ったら・・義姉が母の上に乗っ

て布団の中で震えて居た。(何時も仲が悪い二人と思っていたが、義姉も母が好きだったと気が付いた)

此の時の坂東霊場は、伊香保温泉のお湯の優しさ・義姉の意外な優しい一面を見た。日本一のピーナツ

の産地だと、千葉の町でピーナツをよねちゃんが袋一杯抱えて。バスに乗り込んで、お母さんに買って貰っ

たと嬉しそうに笑って居た。母に心のお接待いをして、よねちゃんはお土産のお接待で幸せそうだった。

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坂東三十三霊場・川崎大師の葛餅   no1
2014/10/23(Thu)
            坂東三十三観音霊場・・・昔話

昭和58年5月・・坂東観音霊場を走り回る寿芳が・寝床に居たのが嘘みたい。

母・義姉・よねちゃん・西国・四国巡拝で大勢の同行者にも馴れて楽しいお遍路。市川添乗員外28名

第7番光明寺で・お軸を求めた。お軸のお観音様は西国の御観音様と御揃いの優しい御顔で白い絹の布

に浮かび上がる。寿芳の手で朱の衣に着替えて戴き家族を守って欲しいと坂東霊場に巡拝に出た。

(墨の筆で光明寺と朱印)馴れると当たり前なり、思い出もばらばら余ほどの事が無いとお寺も思い出せ

無い。川崎大師の門前で食べた葛餅、私が「母にお代りしても良い」と、母が「変な子ね~甘い物の食べ

ないでしょ」・「美味しいけど欲深はいけないよね~」・「私が皆にお接待するから」と、私のおねだりの為に

母が、全員のお金を払う事になった。五皿食べたのには母も驚いた。私は気に居ると底が無くなる。

                 川崎大師の日付が違います
川崎大師

母は此の巡拝では、よねちゃんがお気に入り・何でも「よねちゃん」義姉も呑気に楽しんで居た。

巡拝に馴れない義姉が蝋燭台の前でウロウロして、心経が終わる頃にやっと並ぶ無心に祈る義姉の為に

御観音様がよねちゃんを助けに出して呉れたと思う。

嫁・姑が遠慮なく祈願して居た。よねちゃんは親孝行の真似がしたいから、私に母を貸してねと我儘な母

が無理を云っても何でも・お母さん・お母さんと面倒を見て呉れた。此の頃は市川添乗員の云い付け道理、

真面目に巡拝して居た。お参りが済んだら直ぐバス・寄り道するのも市川添乗さんが納経所に居る間
                                                        合掌
坂東 (2) - コピー

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越後三十三霊場・孫の百観音☀満願☀  最終
2014/10/22(Wed)
           お遍路も後一日・・新潟市に入った、道が解らない車が迷子・・

「中ちゃんさっきも此処を通ったョ」・「智君どうして解った」・「あのクジラさんが三回」私は郵便局に入って、

道を尋ねて記念のスタンプを待つ間にお米のうどんを見付けて家に送った。四回目の鯨を通る時智徳が

「くじらさん又ネ」・「智君もう一度通るよ」と、中ちゃんは私達が知らないと思って居たのに智徳に知られて、

笑って誤魔化した。道が分からなくなると(郵便局が命綱)

智徳が車で昼寝をして居たので、納経所の近く起こすのが可哀想で中ちゃんに頼み参拝して戻ると。

「僕もお参りしたかったのに~」と、中ちゃんの玩具のお接待をして貰ったのにやはりお婆ちゃん子・玩具に

もつられなかった.予定どうり最後の宿に着いた。越後の冬の為に寝る小部屋が付いて居た(四畳半位)

広い方は横井さんと能美夫妻に中ちゃんが能美のお父さんに一緒にと云って呉れたが。

明日の帰りを考えて「中ちゃん今夜はゆっくり休んで、かえりの運転は山越えよ」と、仕事で馴れて居ると

云っても、中ちゃんが疲れて居るのが解った。☀最後の晩餐会は豪華☀何時もは最低で我慢するが、

誰でも最後は覚えて居るからと中ちゃんに教えて有った。誰もお酒は飲めないがビール一本の乾杯。

智もジュースに御満悦・私達が中山さんにお礼を云ったら・智徳「有り難う御座いましたお疲れ様でした」

皆の真似に全員が笑った。最後の日佐渡が島を右に見て海岸通りを走り最後の札所に着いた。

(智徳の百観音)☀全員の満願☀のお寺は静かに私達を迎えて呉れた。お堂の前で心経を三巻挙げた。

何時も満願には涙が出る。智徳も門前の小僧で心経を唱えて居た・中山さんも納経を済ませて並ぶ。

住職が「お堂の中にどうぞ・お済なったら彼方でお待ちしてます」と、お堂を開けて下さった。

御観音様のお顔が蝋燭に揺れて優しく微笑んでみえた。南無大慈大悲の観世音菩薩・家族の健康と帰り

の道中祈願を☀☀蝋燭を消す☀☀終わった。私が「此処が越後三十三霊場の満願です・お観音様のお招

き有り難う御座いました」住職が「遠い道中御苦労様でした」・「この子が此処で百観音を納める事が出き

ました」と、「此の年の私でもお参り出来ないのに・僕は偉いね忘れると思うが年に一度しか開けない井戸

●命の井戸●僕に汲んで・お茶を入れて上げようね」と、水を汲む住職の後ろから覗く「僕も汲むかね」

興味が有る智徳は「はい」と、お茶を出して頂いた。お茶受けの・笹餅・きな粉を付けて美味しそうに食べ

る。智徳は「もう一つ良いですか」・「住職がきに入ったの田舎の食べ物だょ沢山食べなさい」と、

笹餅の由来を話して頂いた。私は智徳のアトピーが心配で「智徳、又痒くなると辛いよ」と、止めたら。

智が「美味しいな~お母さんにも食べさせてあげたいな~」・・三個位食べた。お婆ちゃん子の智徳も今日

帰ると解れば☀母が恋しい☀のだ住職が智徳の食べる姿を見ながら、机に向かい筆を取り・五枚の色紙

を書いて越後の土産にと其々に渡して下さいました。私は「思い出が出来ました、名古屋迄時間が掛かり

ますので失礼します」と、帰路に着くお腹がいっぱいで智徳は山越えも知らずに眠る。夜中に娘に智徳を渡

した時の智徳の嬉しい顔&娘の顔が思い出される。我が家に帰ったら下の娘が迎えて呉れた。

娘は「何時も良かったね・お疲れさま」と、迎えて呉れる。愛犬達も喜んで迎えて呉れる幸せ者・・・・、

小さな可愛いお遍路さんも白衣を脱げば普通の子あの時の姿は今も私の同行者の姿
        
           ☀若い私が引いた手を・今は私の手を引いて呉れる☀      合掌
直子
                             寿芳
智徳
                             智徳
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越後三十三観音霊場・孫の百観音満願   no2
2014/10/21(Tue)
          お寺の石段を一段・一段・私と手を繋ぎ登る。

満願を二回も納めて居る智徳は、越後霊場が無事打てたら百観音☀満願☀お参りにも馴れて来て賽銭を

入れて家族をお守り下さい合掌。お寺の境内で心経を唱えながら遊んで居る小さなお観音様の姿を見た。

私が疲れると「お婆ちゃん頑張って」と、励まして呉れる可愛い孫。全員が早起きで疲れて居るので、何時

も一日目の宿は早く入る智徳も自分のリュックを背中に部屋に付いて来る。部屋が解れば宿の探検に出て

「僕がお風呂を見付けたから付いて来て」と、部屋は能美さんのお父さんが中山運転手と同室。

智徳は温泉がしみるのか我慢して入浴。翌日アトピーが少し治って居て安心した。

朝風呂はゆっくり、全身を手で撫ぜて入浴させた。二日目のお参りも予定どうりに終わった。

宿で体の不自由な人が私達の世話をしてくれた。(従業員)体は不自由だが親切な人に懐き、遊んで貰っ

て居た時に・お薬師様を唱えて居た。幼い頃から病気や痛い時にお薬師様に縋る私の姿を見て信じて居

た。三日目のお参りにお寺の境内で年老いたお婆ちゃんを連れてお参りに来て居た親子が智徳の姿に手

を合わせて居るのを見た。「小さなお遍路さん、道中気を付けて此れを受け取って下さい」と、差し出された

のはお金のお接待。「頂きます」と、お接待を受け取って頭蛇袋に納めて中から飴玉を出して「お接待です」

私は何も言わずに見て居た。私は何時も智徳の頭蛇袋に飴玉を三個入れる・其れは高い山のお寺に登る

時に口に入れる為・智徳にとっては大切な飴玉を接待返し・親子は嬉しそうに受け取った。何処のお寺でも

智徳のお遍路姿を見ると、お堂に供えられたお供え物を降ろしてお接待して頂く☀私が不思議に思ったの

は子供のお接待に甘い物が無い☀娘の心が通じたのか☀冬には寒い東北地方でも信仰には変りなかっ

た、欲の無い子供の遍路に合掌する。どんなお接待でも、車の中で同行者と分ける事も頂く事も覚えた。

「今日はお婆ちゃんと僕だけの部屋・皆は何処なの」・「静かに見て来たら」・「行っても良い」・「悪い事をし

ては駄目だよ」・「待って居てね、行って見て来る」と、部屋は隣りから声が聞こえる。

智徳と能美さんが中ちゃんの部屋に行った。宿に入っても私の許可を取ってから遊ぶ・私は荷物の整理

をして居た。「お婆ちゃん~助けて~能美ちゃんが怖いよー」と、飛び込んで来て私の後に隠れる・・

「如何したの、智が悪戯したのでしょう」と、聞いたが智徳は首を振るだけ・能美さんが恐い顔をして入って

来た。私が「何か悪い事した」と、能美さんに聞いたが?「悪い子は何処だー見付けるぞー出て来いー」と、

東北名物・なまはげ・の真似だった。子供を育てた事が無い能美さんは、子供との遊び方を知らなかった。

私は見て居なかったが何かしたらしい。意外と横井さんより能美さんに懐いて居た。合掌   続く

越後 (4)
                  
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