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西国第二十七番書写寺・・馬車
2014/11/20(Thu)
     西国第二十七番・書写寺・・・昭和五七年十一月・・中型バス・・19名

書写寺のロプウエーを降りると馬車が居て、母は絶対乗ると云い張るが私は歩くと云って歩いた。

私より先に着いた母は「寿芳負けた★馬勝った」と、ニヤニヤ笑って居た。

帰りは歩くと先に歩く☀矢張り先輩だった。登りは辛いから馬にして帰りは下りで楽だから歩くとは寿芳の

負け。書写寺の本堂の横の食堂(じきどう)は、昔から寄ったから平成15の映画「ラスト・サムライ」はとて

も楽しく見ました。私達が寄った時は・ただ広い土間にお釜が有って今とは全然違いましたが、建物は古く

ても立派でした。本堂の舞台から見た銀杏の木と紅葉がとても印象的でした(姫路城は前記事に紹介した)

此の時に☀姫路城で赤い毛布の上で白衣・でお茶会をしました・18名です私はお茶が嫌いで楽しそうな☀

野立てを眺めて居ました。誰もお城には入らなかった。日本三代名園でお茶の会に魔法瓶は変だった。

誰も姫路城に入らなかったのが私には解らなかった。(綺麗な物は遠くで眺めろと勉強しました)

二十七番園教寺
合掌
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☀此のブログが雑誌に掲載されました☀
2014/11/19(Wed)
        ☀此のブログが雑誌に掲載された☀

長生きはするもんだネ~傘寿(80才)への御褒美で自信が付きました。

           ☀出版依頼を戴いた時、娘に応援されてお受けしました☀

傘

          ☀昔々のお話に興味を持って頂いた事に感謝します☀

書き貯めた遍路の同行者と歩いた珍道中・携帯もカーナビも無い時代に人に尋ねたら蜜柑畑の良い匂い

姫路城で白衣の姿で☀お茶会したなんて☀今の方には理解不能と思います。

此れからも、間違いだらけで解らない事はお聞き下さい。返事が間違って居るかも知れませんが?

      ★子供叱るな来た道だ★年寄り笑うな行く道だ★何処かのお寺で読んだ筈★

寿芳

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西国第十六番・清水寺の入場料は・・
2014/11/18(Tue)
     西国第十六番・清水寺・昭和六十一年の秋と思う・・・横井さん・能美夫妻・寿芳・中山タクシー

前は無料だったが・清水寺で此の頃に・入場料は門前で封筒に志と書いた封筒を渡された。

中山さんが、揉めて居るので近付いて訳を聞いたら(何処の寺でも運転手は無料だった運転免許書)

五枚の封筒を持って怒って居た。お客さんは四人なのに何故五枚だ・此処は運転士も志が要ると云われて

志で良いのだな・・ポケットから一円玉を四枚出して目の前で入れて居た。(自分は外で待つ)

私は、残りの封筒を取って千円入れて渡して・・中山さん此処は仏様のお屋敷だから喧嘩は嫌だよ・・

中山さんは素直に「御免なさい」と、入り口で頭を下げて居た。しかし不服そう車の中で・志・と書くなら初め

から入場料と云えば好いと・確かにそうだと思うが賽銭だけではお寺も大変だと思う。

其の日のお昼ご飯の時?中山さんがスパゲッティを注文して居た?何か食べ難そうだ良く見たらふふふ~

ライス・スブーで食べて居る「中山さんホークで食べないの」と、聞いたら・「此処ではスプーで食べるのかと

思った」と、皆で大笑いして清水寺の出来事を忘れた。寿芳と一才違いの猪で突進したら止まらないから?

         ☁なる訳無いが寿芳より一才年上になったら聞いて上げると約束した☁
十六番清水寺
            一千年祭には入場料はきめられて居た 合掌
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西国一千年祭に二度のお招き
2014/11/17(Mon)
           ☀那智山一千年祭で塗り替えられた五重塔の美しさに感激☀

昭和六十二年六月十九日・・能美夫妻の西国一千年祭に巡拝は残して有ったが・同じ月に宇佐美さんとの

巡拝した・能美夫妻が初めて四国に遍路の時に西国一千年祭の話を聞いて二度参拝したのはお納経帳

☀に書いて有るが、どちらが先か解りません☀
那智
那智山の手洗いで何処かの団体さんが鞄を落として見えて居ても取れないので横井さんと寿芳のお杖に

       (お困りの方が有りますのでと謝り)二人で挟んで取り上げた。

本堂でお杖を拭いて蝋燭を挙げた時・・お寺さんがあの方から蝋燭と経の申し込みが有りました。

其の方には頭を下げたがお礼は云わず。お寺さんに先を急ぎますので経は後でお願いします。

私達の心経に後から来た参拝者が心経に加わって居た。静かな心経流れに中山運転手が驚いて居た。      
那智の滝 (2)
     能美さんが寿芳さんには負けたと云われたが、私達のお杖にお礼は無用だと思った。

那智の滝の水で中山さんが入れて下さった・冷たいインスタント珈琲が凄く美味しかった。
    
    ☀母が居ると天下御免で上の駐車場に乗り入れるが(七十才以上)参道を歩く楽しさを知る☀
横井さん
      
       那智のかんぽの宿で泊まる・・朝が早かったので温泉の優しい温もりで良く寝れた。
一番青岸渡寺
               昔々のお話に合掌
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戦争・地震・終戦・台風・仏様に縋る・遍路に戻る
2014/11/16(Sun)
                 ☁戦争・地震・集団疎開は悲しかった☀

私が小学五年・弟が三年生の初夏・戦争が激しくなり、集団疎開に行かされた。

名古屋からは其れほど遠くない津島のお寺の五ヶ寺に別れ・私と弟・別のお寺・戦争には愛情も無い。

遠足にでも行く心算で、学校の校庭に集まった(其れが焼ける前の学校を見た最後)荷物を持って集合

(布団着替えは先に送って有った)誰かに学校迄送って貰ったが解らない場面は思い出すが?運動場の

藤棚の下に誰かが居た。お国の為・子供はお国の宝・お上の命令だ。三年生以上は田舎に疎開と決めら

れたが・まだ空襲も無い戦争も知らない(太平洋戦争なんて?)寝る時は淋しくて家が恋しくて布団に潜っ

て泣いた。唯親の云い付け・我慢・(良い子で居なさい、お寺に置いて貰えないと行く処が無くなる)

お寺には寮母さんが二人・お勝手のお婆さん・住職は兵隊に行き・息子二人と奥さん。跡取りの人は優しく

私達に経を教えたり・お習字が何と・南無阿弥陀仏・お話をして遊んで下さった。

皆で就寝前のお便所に行く為に暗い外に出た、お便所の電気の下に・・ファ~と白い影「キャ~」皆が叫ん

だ!!私は腰を・・・ぬかしてアァアァ~立てなかった。翌朝、跡取り住職が弟と友達を連れて謝りに来た。

(肝試しをして、驚かす心算が大騒ぎになった・私の肝は潰れた)跡取りさんは、津島駅で私達の・万歳と

日の丸に送られて兵隊に行った。1941年12月12日の南海地震の時にお寺の炊事場が潰れた。

皆で仏様に手を合せて震えて居た。空襲の毎日・名古屋の夜空が真っ赤に燃えるのが見える・伝令が来

た寿芳の家が燃えた。家も家族も無い寿芳は泣く事を出来なかた。叔母がお寺に来て呉れて工場の二階

が少し燃えただけと聞いた時に始めて泣いた。お寺の廊下で日向ぼっこして居た時☀夢かと思った☀

兄達が門を入って来た、兄に飛び付いたら帰る支度をしなさい!チョットお寺に御挨拶に行って来ると云わ

れても離れなかった。車の中で兄が此処は飯田街道で・昔の姫街道だよと教えて呉れた事は忘れない。

「寿芳姫のお通りだ・其処を退け~」と車は走る。、上挙母に家を買って縁故疎開になったが・・・

近くにトヨダ工場が有ったので・空襲警報で森の中へ逃げた☀八月十五日終戦☀平和な日が来たのに☁

八月二十一日・弟が生まれて・二十九日に兄が亡くなった。十一月に亡き兄が楽しみにして居た柿の実が

取れる頃・名古屋の我が家に帰ったが・学校は焼けて無くなり☀卒業式☀は焼け野原の校庭でした。

5~6年前に娘婿に津島神社の藤の花を見に連れて行って貰った時・法泉寺にお参りに行って驚いた。

本堂の仏様は☀阿弥陀様☀は寿芳の守り本尊だったと知る大きく見えたのは寿芳が子供だったからかな

宝泉寺でお聞きしたのは、悪戯子が戦死されたとお聞きした。     悪戯子に合掌

疎開先の話は、悲し過ぎて書けません今、の人にはこの思いは解らないと思います☀平和に万歳☀
錫杖
            此れで又お遍路の思い出を載せますので宜しくお願いします
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名古屋御園座で検校のお披露目・眼に涙
2014/11/15(Sat)
  ☀今も生田流の三検校におさらい会で箏合わせを感謝☀

母は、土井崎検校のファンだった。検校も何かと母を頼って居た。意外と早く検校の位に着いた。

直ぐに母に挨拶に見えた時を思い出す。其の時、嬉しそうに笑って頭を下げて有難う御座いました。

検校のお披露目を御園座で行うから来て下さいと★招待状★を持っての挨拶。

母が「お祝は、何が良い」と、聞くと・検校が「私は幼い時には、眼が見えて色は聞けば想像出来るから、母

の着て居た着物の色が好きで忘れられないので、江戸紫の座布団が欲しいが、お尻に敷くのは悪いから」

遠慮しながら言った。母は「探してみるわ」と、約束した。直ぐに松阪屋へ電話したが無い・其の頃は戦後で

良い物が無かったが、母は京都まで行き・丹後ちりめんで染めさせた。京都に出来た座布団を取りに行き、

持って帰って荷物を開けた時・満足そうに「天下の松坂屋でも出来なかったのに、立派なのが出来た」と、

                   ☀母は嬉しそうに威張って居た☀
真
真の手のバッチ

当日御園座に届けた時、検校はゆっくり壊れ物の様に、座布団を撫ぜて頭を下げたが眼に涙を浮かべて

居た☁何故か解らない☁其の後検校は・座布団にそっと座った。検校が「寿様何色」?「紫」と答えたら

「私に似合うかね」と検校が聞いた。「本当に立派だよ~検校様~」と、私はおどけた。

幕が開き・衣装を着て・琵琶を抱え念願の江戸紫の座布団に座った姿は★きらきら★輝いて見えた。

(優しい兄の形見になった、私のお琴も検校に弾いて戴いて幸せだったと思う)私には出せない音が出るの

を知って良かった。姿では無いと検校に感謝する。テレビ画面で☀土井崎検校・三品検校・井野川検校☀

の琵琶を懐かしく聞いた。寿芳は立派な人達と舞台で並びおさらい会で演奏出来たのを誇りに思う。

「奥様イリャアスキャーモ寿様又停電シテリャスデモー」と、カタカタと下駄を鳴らして、お稽古を・サボル・

と私を迎えに来て呉れたお師匠さんが来ると、隠れる私の停電は長く☀あかり☀が灯るのに時間が掛

かったが。最後まで教えて頂いた「寿様ワシハモウ・アシガイタァデ・ヨウイカンデナモ・ヤリヤァセョ」

我が子の稽古は出来なかった・厳し過ぎて哀れになる・お師匠さんの三味線の撥の痛さが本当の修行・

  寿様マタ・テイデン・シテレァスガエモ・マァデキャ~アセン・トシダデ寿芳
免許             ☁亡き片岡お師匠様有難う御座いました☁   合掌
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土井崎検校の箏の調べ
2014/11/14(Fri)
          ★箏糸の上を綺麗な白い検校の指が楽しく踊る★

お師匠さんは、良く家に音を合わせに来て呉れたが。母に有った事が無く、叔母を母と思って居た。

春のおさらい会の、打ち合わせに来て驚いた。お師匠さんが「オカァ様キャーモ!!」と、

おさらい会の音合わせで初めて土井崎検校に会った。師匠と兄弟弟子で師匠が姉弟子で威張って居た。

私達のお稽古場にも、木の名札が掛かって居た。初めは右端で私の前に五人ほど居た。後から入門する

人が有たり、お嫁入りなので辞めると名札が移動するので、後から入門者が有るとチョット偉くなった気がし

て嬉しかった。芸の世界は下手でも、歳の差も無く一日でも早く入門した者が偉かった。検校は幼い時に高

い熱で光りを無くしたと聞いた。闇の世界は辛かったと思う。とても感が良く・黒い眼鏡の中の眼は宙をみて

いたが、お琴を弾き出すと眼は活き活きとして居た。少しの音の違いも直して琴の上を魔法の指で箏を弾く

♪♪凄く良い響き♪♪検校は、私のお琴の音が好きで来ると離さなかった。

★闇の世界は音だけで贅沢な飾りの琴は見えないから★寿様のお琴が好きで此のお琴が弾けるのを楽し

みに来るのだから貸してね」と、検校が話して呉れた。           (初・中・奥・真・位のバッチ)   
中
その頃、入門した人が☀磯琴☀を持って来た。綺麗な細工の立派な琴だった。皆が細工を誉めて騒いだ

私も欲しかった。(検校は見えないから、皆の騒ぐのに一度も触らなかったし弾かなかった)??

お琴を買って呉れた亡き兄も検校の調べを、あの世で聞いて居たと思う。検校が琴が解る訳が無いと皆で

私の琴を入れ替えた(お師匠さんも一緒に)・箏を弾いて直ぐ「今度は寿様かね」未だ私では無かったが!

お師匠さんが「寿様ダゼェーモ」私は驚いた!お琴が変ったのを知って居た。琴合わせには、自分の琴を

使うから私が使うと思ったのだ。私は「お願いします」と、検校の前に座る。

検校は本当に私の琴の音が好きなのだと思った。初めに誰かにお便所へ手を引かれて行く時・鴨居で頭を

打った。私は「痛い」と、思わず言ってしまったら、にっこり笑って付いて行くが、帰りは一人で鴨居の下に来

る・危ない★打つぞ★と見て居ると鴨居の下で頭を下げる!どうして解るのかなぁー後からは一人で行くが

二度と打つ事は無い?賢い検校だと思った。        寿芳の越後獅の子の登録書
越後獅子 (2)
            亡き土井崎検校に  合掌
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七月七日の七夕祭りに稽古始め
2014/11/13(Thu)
      ★昔は、女の子は数え年の7月7日★七夕祭りにお稽古を始めると良いと★

亡き兄が、琴と三味線を買いに母と行って呉れた。此れを買って呉れないか今、店に有る一番良い音だと、

お店の主人が琴を弾いて聞かせたらしい。稽古琴では無かったが、残して置きたいと主人に言われて♪♪

音の良さに兄が惚れ込み♪♪今も良い音が出る。背が低くて家では、三味線は一度も弾いた事は、無か

ったから音は覚えて居ない。弟と喧嘩の時に壊れた。其の時の傷跡が琴に今もまだ有る。

赤い金襴の袋に入って床の間に立て掛けて有った。琴は七歳から今迄の私の人生を知って居る。

何時も私の傍に居て、今は弾いても貰えず、部屋の隅に立て掛けられた儘。亡き兄の形見で私を守って居

て呉れて居る。まき叔母ちゃんと、お師匠の処にお稽古を頼みに行った時。叔母が「寿芳です」と、云うと!

お師匠さんが「寿様ネ」と、「私は寿芳です」と、「ダカラエモ・ココデワナモ寿様トヨブデエモ」叔母と話す時

の言葉も変だし・嫌な人だと思った。お師匠さんが「イイキャーモ寿様ハ・ワシヲ・オショさんとヨビァセ」と、

お腹の中で笑った。叔母に、私は「どうして寿様と言うの」と、聞いたら。叔母は「月謝を取るから様は一番

・次がさん・後は呼び捨て・お稽古は琴だけでは無いの・言葉もお行儀も習うの」と、私は困った名古屋弁

を知らなかった。家で飼って居る*アヒル*見たいだと思った。

二~三回は、叔母が付いて行って呉れた。琴の音が聞こえる時は黙って玄関を開けて入るが,お琴の音も

しないし、誰も待って居ないのに私は声を掛けずに上がった。二畳の部屋で難しい本が有るだけ。

足は痺れるし退屈で・・お便所に行きたくなって、廊下に出たら。「寿様キテレァター・ダーレモオラナンダラ・

ヨバナアカンゼェモ・ワカッタキャーモー」と、お師匠さんが云ったから。私は「解ったワーモー」と、云ったら

お師匠さんは・ぽかんーとして苦笑いして居た。お師匠さんの名古屋弁は・芸者さんが使う生粋の綺麗な

名古屋弁だった(芸者さんの時に・旦那さんは学校の校長先生で・後妻居に来たのだと聞いた)

私にはあの綺麗な名古屋弁は真似できない・・・・・オキァーセエーモ(止めなさい)        

免状 (2)                           
            ツヅキァースデヨウ・マットッテ、チョウョ・・・(続きますから待って下さい)
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寿芳の幼き頃の思い出
2014/11/12(Wed)
          ☀入学式は出来たが☀☁卒業式は焼け野原だった☁

★叔父がお祝に買って呉れた。ランドセルに上靴入れを手に・トボトボ叔母が引っ張るが学校が遠くて★

ランドセルが肩に食い込み痛い。校門で六年生の兄が居た時は嬉しかった。

兄は新入生の胸に名札を付けて居た。私が兄の前に行ったら「寿芳は此処と違う」と云って一組の前に連

れて行って呉れた。式の後一年一組の教室で先生が「寿芳さんー」私は返事をしなかった♪♪ネテタ♪♪

叔母に後で叱られたが・昨夜入学式が嬉しくてほとんど寝て無かった。翌日、兄姉に連れられて分団登校

兄は分団長・偉そうに兄が「並んで・行くよ」と、私は、クラスでも一番小さかった。少し行くとノロノロ歩く・・・

兄が「重いの」と、聞き鞄を持って呉れた。お転婆なのに力は無かった兄は教室迄鞄を持って行って呉れた

或る日、時間割を一日間違えて、姉の教室へ借りに行った。「お姉ちゃん」と、呼んだら姉が「何よ、此処に

来ては駄目」私が「クレヨン忘れたから貸して」と、姉が「私達はクレパスだから持って無いわよ」と、私は困

った。教室に帰ってすぐ姉が「寿芳早くおいで」と、手を引っ張って校門の前の文房具店に行き。

姉がクレヨンを選び「此れ事務所に付けといて」と、云って私に渡して呉れた。私が「お姉ちゃんお金は」と、

姉は「いいから早く」と、手を引っ張って走った。何とか間に合った。其れを覚えて、友達にも買って上げた。

悪い事は直ぐに覚える・・☀運動会のパン食い競争は、親と一緒☀親の来て居ない私が困って居ると。

兄が走って来て一緒に参加して呉れた。兄が「寿芳早く其処だ」と、背伸びをして呉れるが、何しろ私はチビ

・兄も子供・私が「届かない~」と、兄が私を降ろす・・私は駄目だーと思った時、兄が「それ早く肩に」乗れ」

(私は何時も、高い所の物を取る時・兄の肩車で取って居た)私は、急いで肩に乗った、私がパンをくわえ

た時パチパチと拍手が起きた一番ペトなのに!解らなかった。先生が走って来て「よく最後まで頑張った」

と兄と私を誉めて下さった。(きっと兄の気転に皆が拍手を送って呉れたと思う)

私はチビでも足は早かった。(私は三月生まれだが何時も兄弟喧嘩の時、逃げて居たからだと思う)

一丁目分団の代表・一年生が私・三年生が姉・六年生が兄・五年生に小学校一番の足の速い山下君が

(代表を選ぶ時・山下君の早さを見て驚いた)入場門で兄が「皆、山下が居るから無理するな」私は胸が・・

ドキ・ドキ・赤い鉢巻。先生が「ヨーイ」と、ピストルがドン・夢中で走った。「寿芳・頑張れ頑張れ」と声が聞こ

えた。(母が来られないので、祖父が来て呉れて居た事は知らなかった、お昼弁当は、お手伝いさんが届

けに来たので、家からは誰も来て居ないと思って居た)何処かで見て居て、祖父も孫達の走る姿を見て・・

興奮したのだと思う。走った後は心臓が飛び出すかと思った。私は、一番だったと思う?・・姉も早かったが

四年生までは・抜きつ・抜かれつ・団子状態だったが・山下君の早さは凄かった。山下君が半周以上抜い

たのに其れでも兄は一生懸命走りテープを切った。ヤッターと私は、飛び跳ねた。(負けず嫌いの寿芳)

先生が「一着・一丁目分団」と、呼ぶ手を挙げた兄が前に出て皆の御褒美の鉛筆とノートを校長先生から

受け取る。皆の拍手・・嬉しい運動会も・・私の運動会は、此れ一回だけ(太平洋戦争が始まった)

夕方、母の事務所に入って行くと母か「寿芳、お姉ちゃん知らない」「知らないまだ学校から帰ってないよ、

鞄が無いから」と、「チョット学校まで見に行って来て」と、会社の人の自転車の後ろに乗って学校まで行っ

て、姉の教室へ行って・そっと覗くと姉は居た?暗い教室に仲良し三羽カラスが立って居た。ビックリして

小さな声で「お姉ちゃんどうしたの?」と聞くと姉は「来ては駄目帰ってー」と、手にバケツを下げて三羽烏は

立たされて居たのだ。兄が廊下に、バケツを持って立たされて居たのを見た事が有った。きっと何か悪い事

をしたのだ・・暗い中で待って居た会社の人が「居た」と、聞いたが「居なかった」と、嘘を云ったが困った。

家に着くと母が心配そうに「居た」と、聞いたが怒って居る。・・・三羽カラスの親が電話で探し合って居る。

私が「お母ちゃん叱らない」・「叱らないわよ」「お姉ちゃん学校で立って居たョ」と、話した・・後が大変だった

母がタクシーを呼び出掛けた。三羽カラスが教室で、暴れて地図を破ったので先生が罰として、三羽カラス

を立たせたまま忘れて帰ったのだ。母は意外と子供思いだった。先生を許さず、校長先生と二人が応接間

でペコペコ頭を下げて居た。(母は強いと思った)私は姉が心配で窓から覗いて居た。お転婆三羽カラスは

其の後も学校で暴れて居た。三羽カラスの家はお金持ちだった。         合掌

珠
 お遍路の人達との別れの記事が辛くなり寿芳の子供の頃を載せますが最後は☁集団疎開のお寺☁
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伊豆横道三十三霊場は何処へ・迷子
2014/11/11(Tue)
    平成1年5月9日・・3泊4日・加藤さんに横井さんが付き。母に寿芳が付く中山タクシー

修禅寺の宿だけは・母が譲らず・・新井旅館を予約した。

   願えば叶うとは☀新井旅館さんにコメントでお願いしだ返事が無かったがパンフレットが出て来た☀

新井 - コピー


伊豆横道33観音霊場に行く筈が・・中山さんが間違えて伊豆88ケ寺に巡拝。母と加藤さんは・弘法様の

独鈷の湯に入った・・まだ囲いも無いので二人は足のみ入った。

地図も解らない(加藤さんを助手席に乗せたので)後部座席の真中では助ける事も無理。

下田で泊まった時、母が弟に電話で応援を頼んで呉れた携帯も無い時代で明日は・かんぽの宿で泊るか

らと頼んだ。下田の了仙寺で観光旅行に代えようかと話したら・次・次・と参拝出来た。中山さんがお寺の

玄関で揉めて居るので走って行ったら御朱印が解らないので★認印★と云ったから此れで良いかとハンコを

出されて中山さんが頭から湯気が出るくらい怒って居た。

伊豆郵便 (3) - コピー

道路にお猿さんが居ると思った途端に車の上で歩く足音・・無賃乗車は御断りとクラクションを鳴らしても

平気・アレ~中にお猿さんが二人居るから会いに来たんだよ。親戚のお猿さんで無いの☀母と加藤さんは

申年☀二人も笑った。かんぽの宿に弟が来て呉れた。母が夜の食事に伊豆名物の金目鯛のお刺身を

お接待して呉れたら★夕食に一人一匹の姿造りが付いて★折角のお接待も残して何時も伊豆の話は・・・

金目鯛を残して惜しかったと嘆いた。バスの旅では、お漬物と御飯しか食べなかったが・中山さんの巡拝で

は好きな物は何でも食べた。私が弟の車で先導して弟のお蔭で☀満願☀

浄蓮の滝で軽い食事をして居る間に・私と横井さんで弟の車を洗車した(仕事の儘来て呉れて汚れて居た)

寿芳からは各霊場の第一番と第三十三番の四国の納経帳の半分の大きさの御朱印帳をお礼に渡した。

外に出て車を見て弟は驚いて「ありがとう」と、東名高速で☀チカチカ☀と合図して帰って行った。弟に合掌

伊豆横道
                    33ケ寺より多い88ヶ寺に合掌
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