お転婆娘が馬で三原山の火口へ走る
2015/02/07(Sat)
   ✿三原山の駄馬・昭和30年頃秋風が吹く頃に母と旅行に・熱海から船で大島へ・楽しみにして居た。

椿の花はまだ蕾も堅く咲いて居なかった。ススキの穂が揺れる三原山の火口に・一筋の煙がたなびくのを

バスを降りて・母と二人で✿のんびりと✿眺めて居た。「火口迄馬に乗らない・近くで見るとお山は凄いよ安

くしておくよ」と、声を掛けられた。私は「馬は引いて行くの」「大丈夫・付いて行くから」「引かないと駄目」?

「馬だけ貸して呉れたら少しはお礼ははずむわよ」と、母が貸馬の人に「此の子は乗馬が出来るから、貸し

てやって呉れ無い」と、交渉して呉れた。ノタノタ歩く本当の駄馬・私が今迄乗って居たのは競走馬。

自信は無かったが、借りて乗ったらノタノタ歩く・始めて鞭を使った。遅いが駆け足で走り出した。

風を受けて颯爽と?三原山の煙に向かって走った。(競走馬は鞭を使うと興奮する足で蹴るだけで良い)

馬がお利口さんは解って居たが鞭に馬の方が驚いたと思う。火口迄は登り道・・走った。帰りは馬任せ・

のんびり歩いて帰った(坂道で足を悪くすると可哀想)「お疲れ様、有難うネ」と、前に教えて貰った馬への

挨拶・首を叩いて別れた。今でも三原山のお山が綺麗に思い出される。母が組合の人に自慢そうな顔で

「家の娘はお転婆で、知らないうちに習ったんですよ」と、私には「なかなか遣るわね~火口はどうだった」

と、聞く・私は「何かす~とした」と、組合のお供で・年寄り相手で若い私には面白くも無い・話す相手は母だ

けの退屈な旅・母は私が退屈して居るのを知って居て御褒美に乗馬を許して呉れたから、大島の楽しい旅

の思い出が出来た。観光客が大阪弁で「女の子がのてんやでーわいらがのれんはずがないでーのろや・

大騒ぎ。帰りに熱海で母が組合の人と別れて二人で泊・かんいち・おみや・の物語を聞き松の木を眺めた。

大島の旅館も熱海の旅館も忘れたが・何かで三原山の御神火太鼓の音を聞けば颯爽と・駄馬・と駈けた

自分の姿を思い出す・其れが私の乗馬の最後・私の憧れの乗馬服・長靴・帽子・鞭・を持って二人が走る・

乗馬姿を思い浮かべた時も娘の支度をする時も・自分が果たせなかった夢を実現させたかった私の押しつ

けだった。昔は絶対に女が入る事が出来なかったレース場に娘達が・私の変りに乗馬姿で走って呉れて・

私の出来なかった夢を叶えて呉れた娘達に感謝。●人生は乗馬・落馬に負けずしがみ付け●   合掌

サザンカ

椿の花が無かったので、娘のお誕生日に行った徳川園で写したサザンカを載せます・御免なさい合掌

三原山
        形見の馬は何時も私達を守って呉れて居ます・何度も載せた御免なさい・父に合掌
父の形見

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お転婆娘のお馬の稽古・始め
2015/02/06(Fri)
         馬蹄さんとは今の競走馬の馬の蹄を見たり厩舎&馬の手入れ(厩務員)

名古屋競馬場の厩舎に母の使いで行った時☀白い鼻筋で・大きな優しい目の馬フクイヒノデ号に出会う

ヒノデ号は厩舎の前で足・地面をかいて・首を振りながら白い息でいななく・私に馬蹄さんが・あれは喜ん

で居る時にする・いななきだよ、来てご覧なさいと教えて呉れた。動物が大好きな私だが恐る恐る・近付い

て・たて髪を掴んで首を撫ぜる事を教わった。耳を後ろに警戒したが・直ぐに私に鼻をすり寄せて来た・大き

な身体でも可愛い目・馬蹄さんが「乗って見ますか」と、私は「いいかなー」・「大丈夫、大人しい馬ですよ」

乗ってみたいが少し怖い?・私は何故かヒノデ号に「乗っても良い」と、聞いた。頭をコクンと返事が返った

様な気がした。私は「乗って見たいから教えて下さい」と、馬蹄さんが、支度をして呉れるのを待った。

(背中に毛布を掛けて腹帯をするだけ)始めの練習は裸馬だが私が女なので毛布を掛けて呉れた。

乗り方から始まる・右足を折り馬の鬣を掴んで・右足を馬蹄さんが持って呉れて掛け声と同時に飛び乗る

IMG_0012.jpg

何とか馬上へ・高い!・怖いと云えない負けず嫌いな私・トコ・トコ馬蹄さんが引き綱を持って歩いて呉れる

手綱さばきと・掛け声の掛け方・段々引き綱がのびる・頼りの馬蹄さんが遠退く・「手綱を絞って・止まれ」

号令・意外とヒノデ号は私の合図を聞いて呉れた。「其の儘、首を軽く叩いてヨーシ誉めて」と、私は「ヨ~シ

有難う、重く無かった」・「愛情が有れば馬は体で受け止めますよ」と、近ずいて来た馬蹄さんは「今日はこ

れ位にして置きましょう、何時でも来て下さい」と、降り方の練習・降りた後に馬への礼儀を教わった。

私は乗馬に夢中になり毎日通った。(鞍が無いと滑る)股に力を入れると翌日は筋肉痛に・学校の腰掛に

座るのも痛い、教室に友達が丸い腰掛を持って来て呉れたが・トイレに行くと擦れて傷が有るのか物凄く痛

いが我慢・我慢と頑張った。(ヒノデは競争馬・競馬の期間中は女は乗れない)15日もしたら・馬上一体に

なりへへへヒノデに自分を預けて走れる様になった・60年も前・道路は舗装されて居なく何処でも走れた。

厩舎から家まで乗ると(片道40分位)鞭は細い竹・使う事は無かった。厩舎に戻る時はヒノデ任せ・2度ほど

で家の道を覚えた楽しいお散歩・一度で良いからヒノデに鞍を付けて乗りたかった。

競争馬の癖に何時ものんびり最後ににゴール・勝った事が無かったが、私は何時も応援して居たが、負け

ても悔しく無かった。(毎回ヒノデの馬券を買って笑われて居た)

私は目を疑ったが・場内放送はフクイヒノデ~先頭はフクイヒノデと・興奮した声・場内はざわめく・私も応援

しながら走った。「ヤッター偉いぞー」と叫んで居た。誰も買わない馬券が私の手に有った。

(私が買って居た三枚だけの万馬券)馬券が嬉しかった訳では無い・私の信頼に応えて呉れたフクイヒノデ

が嬉しかったフクイヒノデ号とは一年位の付き合い(立て髪を編んでリボンを付けて上げると嬉しそうだ)

軍事工場も戦争が終り母の工場でアイスキャンーデイの機会を作った頃・競馬場が出来て直ぐに・母が

面白がってお店を借りて居た(お店に人は一杯なのに儲け無し)   続く         合掌

父の形見
此の父の生前の形見は・名古屋の松阪屋で特別注文でお腹に刻印が有りますが調べるのはしない合掌
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亡き父と寿芳の・昔話
2015/02/04(Wed)
         寿芳の父はチョツト変な人・まるで子供の様に母の陰に隠れて悪る

戦前から車とサイドカー(ハーレ)で走り回って居ました。戦後・お酒の配給を人にあげるのが気に要らなく

てお酒を呑む様になりました。私達が学生の頃・何故か解らないが市電に乗ってお釣りが無いと云われて

乗車券を全部お釣りで貰って来て・私達は定期券の代わりに切符で学校に通いました。

余りにもお酒が過ぎて何処に車を置いたか解らなくて・会社の人が探すのに困らない様に●真っ赤な外車

に乗せられて(母の云い付け)●家に着くと車庫に衝突して凄い音・エンジンふかして寝て居る・競馬の馬

の誕生日は解っても・子供&孫の誕生日は知らない人でした。お年玉は・千円・(母いわく馬券の金額が変

わらないと駄目だ)馬券は自分で買いに行かないで競馬協会の事務員さん・有る日父の馬を間違えて買っ

て来て・其れが凄い倍率だったが・お金は要らない・自分の愛馬が負けたのが悔しくて其の方を困らせた

間違えたから負けたと・随分長く勝率を破られなかった馬でした・母と私に京都競馬場に見に行って呉れと

頼まれ・勝った一番だったと☎をしたら・今日は勝ったら駄目だと(ハンデが重くなる)一人で食事にも行け

ない人でした。我が家では父より母の方が上でした。私に形見と云って呉れたのが・馬の銅像・

父の形見

何時も母に頼んで・北海道の馬の赤ちゃんを見に付いて行って貰って居た。名古屋競馬場の役員で・会社

に出て直ぐ競馬場に出掛けるのですが・新幹線が通過するのに合掌をすると縁起が良いと(縁起・縁起)

の人で・・しかし優しい人でした・・私の家に遊びに来た時・??・主人が会社を失敗した時に来て呉れて帰

った後の座布団の下にお財布を忘れて居ったよ・と電話したら其れは拾った者の物だと・随分なお金でした

娘に恥をかかせたくない親心でした。寿芳の娘二人が馬の練習に行きたいとお願いしたら・中京競馬場に

練習生の教室に下の娘は年で駄目と云われたら・自分の馬を練習用に寄付をして・下の娘も教室に入りま

したが・下見の場所で練習中に上の娘は落馬してチョット恥ずかしい年頃で辞めて終いましたが下の娘は

意外と長く練習に通って居ましたが・アレルギー発作で辞めました。教頭先生に誘われて乗馬クラブで昔の

母の持ち馬が居たのには驚きました。             合掌

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父と寿芳の最初で・最後の二人旅  第2章
2015/02/02(Mon)
         飛行場に車が迎えに来て居ました。私は車の中で寝たらしい。

目を開けたと、ベットの中だった!・・ベットも始めて!一人も始めての夜・食堂で父と会社の人と食事・

翌日、会社へ行き・父が机の前に座らせて「仕事だから此処に居なさい」と、行ってしまった。

女の人が「良い子ね、此れで遊びなさい」と、鉛筆と紙を呉れたが・・・長い時間・退屈をして居眠り。

父の声が聞こえるので安心して居た。「寿芳、風邪をひくから起きなさい」と、まだ待った兎に角長かった。

・・・幾つ泊まったか覚えて居ない。父が「此処か日本一賑やかな処だよ」と云って居たが綺麗なお店が

並んで居た。(銀座だったと思う)父が「どれでも良いから、好きなのを買って良いよ」全部欲しかった。

「此れにするか」大きなフランス人形を買って貰った。ホテルのフロントで「アスカエルムカエタノムジュホウ」

電報を打ったと・見せて呉れた。(今思うと家に電話が有ったのに?父の思い遣りだった)

私が「又飛行機に乗るの」と、聞くと、父が「嫌なのか・時間がかかるが、我慢できるか」と、聞き汽車に代

えて呉れた・急行・燕・トンネルで息が出来ないぐらい臭くて(今思うと凄く時間がかかった気がする)

夜明け・名古屋駅に着く前に、父が「寿芳・起きなさい」と起こして「お母ちゃんに笑われるぞ」と、ハンカチで

顔を拭いて呉れた。汽車の石炭の煤で顔は真っ黒・駅に着くと母と☁亡き兄が☁迎えに来て居て呉れた。

私は大きなフランス人形と母に飛び付いた・嬉しかった・私は泣いたと思う。私は「お兄ちゃん、ただいま~」

兄が「あれ~寿芳が可愛いお人形に変った」「寿芳は此処よ」エー「どこー」・・兄が探す真似をして呉れた。

私の乗った・急行燕は漢字でした・その後の特急つばめ・はひらがとの事?

(私は小さい時から母の事務所のタイプライターで遊ぶのが好きで思い出が残って居ました・娘が仕事で

使ったお古のワープロを貰い思い出を書き溜めた・パソコン教室の先生を困らせましたが遍路の思い出が

書きたくて頑張りました。先生も困って居たけど親切でした。解らないと電話をすると孫が来て呉れます)

昭和15年の急行燕を見つけてお借りして載せようと思いましたが・私を遍路の思い出を書く時に応援して

武蔵野33観音霊場の第33番・竹寺第32番・子ノ権現のお守りを送って下さった。お友達が写真を二枚・

貸して下さったのですが・寸法を合わせられなくて一枚お借りしました。(お守り様は前に載せました)

線路
武蔵野33第33番・竹寺様にお返しが出来なかった寿芳の代参を黙ってして呉れました友達に合掌
竹寺 (2)
竹寺様
困った時に助けて下さる・優しい友達に合掌
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亡き父と寿芳の最初で最後の二人旅
2015/02/01(Sun)
        ☁母の事ばかりで・二人なら並んだ写真の父が可哀想で載せます☁

父か「寿芳、お父さんと二人で泊まれるか・泣かないか」と、聞かれた。母に・父か「今度の東京は、寿芳を

連れて行くぞ」と、「絶対泣くし、寝ないから駄目よ」と、母は父に云ったが「連れて行くぞ」と、・父は家では

一番偉かったが・母には弱かった(父は、私を可愛がって呉れた・叱られた覚えがない)父は「寿芳は来年

から学校だし、今年は料金が要らないから連れて行く」昭和15年✈✈✈飛行機はプロペラ機で乗客は・余

り居なかった気がする。私は父に抱かれて、飛行機に乗り込んだ。もの凄い音・父のあの大きな声が✈✈

「聞こえない~」!?私の耳に父か綿を詰めて呉れた。抱っこの儘飛行機は飛び立った。耳はガンガン鳴り

今思い出しても嫌だ(今も飛行機は嫌い)74年も前にプロペラ機の飛行機に乗ったのは✈兄弟で私一人✈

父は子供を連れて行くのに懲りたのかも知れない。白いエプロン姿のお姉さんが・笑いながらサンドイッチ

を持って来て呉れたが後で母に説明するのに困ったし・味は覚えて居ない父が何か云いながら→指を差す

方向を見ると☀美しい富士山が白い雲の上に頭を出してまるでお姫様の衣の裾みたいに☀夕日でだんだ

ん☀赤く染まり❁❁私は「綺麗~」と云ったら、父はうなずいた・私の手を合せて呉れた。

(私達兄弟は、自然の美しい場面に手を合わす事を幼い頃から教えられた朝はお日様に夕日にお月様)

何時までも富士山が見えなくなるまで見て眺めて居ました。下に東京の灯がチカチカひかりマルで宝石箱

の様でした。(父が寿芳・富士山の様な子になれよ・富士山はお腹に嫌な事も仕舞って頑張って居るのだ

富士山が怒ったら凄い事に成るから火の玉を抱いて我慢して居る)と、聞いてから富士山のお山は寿芳の

霊峰です。私の好きな物・1に富士山・2に光るもの(花火)3・4が無くて・5にお参りです。   続く   合掌

富士山
我が家の前の公園に赤冨士が有ります。窓から眺めて写真を撮ったのですが駄目でした。合掌
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